sareluo’s diary ー 脚下照顧

これは私が精神を病み休職してから立ち直るまでを記したブログ

OJTを実施する意味

本当に身に着けるべきものは何か

 

今回は休職関係というより、

休職のきっかけとなったOJTという研修制度について言及する。

 

前回言った「どんな課題があってどんな工夫をしたか」を発表するのは

OJTの一環であった。

そして書いた通り、課題と工夫をどのように見つければよいかが

分からなかったのである。

 

ふと今日思ったのだが、

私が、そして上司たちが身に着けてほしいと思っていたのは

まさにそれなのではないだろうか。

 

世間一般的に言う、「課題発見力」と「課題解決力」である。

 

そして私が不満に思っていたのは、

「それらを身に着けてほしいはずなのに、

 そのような教育を受ける研修になっていない」

ことだったのだ。

 

良く言われることだが、上記2つの力は普段からそのような思考をしていないと

中々身につかないものだ。

 

事実、私は発表の時だけそのような内容を求められたため

何をまとめればよいか分からなくなってしまったのである。

 

もし2つの力を身に着けてほしいのなら、

普段からOJTリーダがそれらを考えさせる問いを

投げかけなければならなかったのだ。

 

というか、OJTリーダがそれを理解して普段から指導しなければならなかった。

 

それをそもそも理解しているOJTリーダが、

いや、研修関係者がどれだけいるのだろうか。

 

「課題の設定が曖昧」だとか「何を言いたいかが分からない」という指摘は

あまりにも本質的でない。

私はそれらの指摘に踊らされ、自分で納得がいかない発表内容をまとめていた。

 

そうではないのだ。

重要なのは、それら問題の原因は「課題発見力がないから」なのだ。

だから設定が曖昧だし、目標が分からず何を達成できたのかが分からない。

 

具体的な課題設定がどうのこうのより、

「今までどれだけの課題を見つけて(あるいは設定)してきた?」

という問いが一番核心をついていると思うのだ。

 

だって、そういう課題発見の経験がないから

本番である発表の段階で課題をまとめることができないのだ。

 

足りないのはたくさんの課題発見の経験。

OJTリーダに足りなかったのは課題を考えさせようとする問い。

OJT企画者に足りなかったのはOJTリーダにそれらを伝えなかったこと。

結果、OJT対象者が一番苦しむことになってしまっている。

 

私はずっとOJT発表に対して「意味があるのだろうか」と疑問に思っていた。

その答えは、

「課題発見力と解決力を発表する場なのにそれらを鍛える研修を受けていない」

からだったのだ。

 

何となく「普段から課題を見つけるようにしよう」と思っていたのだが、

それはまさしく正解であった。

 

だが、それを1人で実施するというのは難しい。

 

サポートする人間がいることで、

ついつい忘れがちな課題発見思考を思い出すことができるようになる。

そしていつしかこの思考を「意識して」できるようになる。

 

それができればゴールだ。

普段から「課題と工夫」を考えているのだから、

あとは発表用にまとめればよいだけである。

 

この流れこそが私の本当に欲していたOJTだったのだ。

 

研修をサポートする側に求められること

 

OJTを改めて考えてみると、

OJTリーダの役割というのは非常に大きいものであることが分かった。

 

特に今回のことで気づけたが、

OJTリーダはOJT対象者の「見えていない課題」を解決しなければならないのだ。

 

OJT対象者はどうしても視野狭窄になりやすい。

目の前の仕事で手いっぱいになり、

それらをどうやって上手くこなしていくかということしか考えられない。

 

それをOJTリーダが引き留めるのだ。

 

仕事を振り返って、

「どのような課題があったのか」

「課題を解決する方法は何か」

ということを体系づけて考えさせる。

 

それによってOJT対象者がなあなあで解決していた課題を明確に形にし、

実際にとった方法が正しかったのかを改めて判断させることができる。

そしてさらに他に方法がなかったのかを考えさせられれば、

OJT対象者の思考の幅がどんどん広がっていく。

 

そうしているうちにOJT対象者も自分自身が「見えていなかった課題」を

見つけ出すのだ。

 

OJTリーダはそれを見つけ出すサポートをしなければならない。

 

ただOJT対象者の仕事の出来を評価しているだけでは、

OJT対象者とやっていることが同じになってしまう。

 

これはどんな研修でもそうなのかもしれない。

 

研修実施者は研修対象者の「見えていない課題」を常に見据え、

研修対象者が「見えている課題」に躍起になって

誤った方向に走り出しそうになったら、

何とかしてその方向を正さなくてはならない。

 

恐らく「見えていない課題」はメタ視点でないと見つからないものだ。

 

研修実施者は常にメタ視点に立って、

研修対象者の進もうとしている方向が正しいのかを評価しなければならない。

 

…研修実施者というのはなかなか難しい。

研修実施者として正しく考えられる人間でなければ

正しい研修効果を与えることができないのだから。

 

ものを教えるというのはやはり難しいことなのだな…

 

と、改めて思い知ったところで今日はこの辺で。

 

機会があったら上司に話してみるか…