sareluo’s diary ー 脚下照顧

これは私が精神を病み休職してから立ち直るまでを記したブログ

復職日の決定とふと思いついた悩み

復職日が決定した

 

一昨日会社で産業医面談を行い、

復職をする日が決まった。

 

正式には復職判定会議という名の面談を

人事と上司と合わせて行う日が決まった。

面談という名の最終確認なので、

実質その翌日が復職日と決まったようなものだ。

 

判定会議の日程は10月3日。来週の水曜日だ。

 

自分としては「取りあえず」感がある。

本当に復職できるのかは復職してみないと分からないと思っているからだ。

 

だからまあ、気を張らずに行きたいと思う。

どちらにせよ最初は行くだけで疲れると思うので、

体調の回復に精一杯頑張りたい。

 

復職してからの状況はまた記事にしたいと思う。

 

それでふと思い出したことがあった

 

つい先ほど仕事のことを考えていたのだが、

そこでふと前々からの悩みがあったことを思い出した。

 

どちらかというと仕事の悩みというより

仕事の評価に対する悩みなのだが、

それは「工夫」と呼ばれるものについてである。

 

この記事を読んでいるあなたも、こんな発表をしたことはないだろうか。

「取り組んだことに対して課題とそれに対する工夫点を述べなさい」。

私の会社でも評価される時には自分でこれらのことを上司にアピールする。

 

この「課題と工夫」と呼ばれるものが私は心底苦手なのである。

 

何が苦手なのかというと、

「自分で『工夫した』という意識のない取り組みが

 課題を事前に潰しているがために、

 何をアピールすればよいのかが分からない」

ということである。

 

もう少し詳細に説明すると、

私が仕事をすると大抵上手く進んで良い結果に終わる。

すると、終わったときに「課題」だったものを振り返ろうとしても

それは既に私の作業中に自然と解決されていることがほとんどだ。

 

私の意識の中にその「課題」だったものは残っていないのである。

 

せいぜい「あ、こうした方が上手くいきそうだ」がその時存在する程度。

 

結果、「課題」は見つからず「工夫」は忘れ去っているということが多い。

後からどれだけ工夫点を見つけようとしても

ほとんどがこじつけのように感じるものばかりになるのだ。

 

自分としてはその作業が本当に苦痛で苦痛で仕方ないのだ。

 

だが、未だにこの問題は「何が問題なのか」が分からない。

「課題と工夫」をアピールするのに一番しっくりくる考え方が

全く分からないのである。

 

特に「あなたなりの工夫があったはず」とか言われると

もうほんとに頭を机に落としたくなるくらい苦手だ。

というか嫌いだ。

 

私にとってはもはや無意識の中にある「私」を説明しろと言われているようで

「そんなん無理だよ!」と言いたくなってしまう。

 

まるで「『私』とはなんぞや?」と聞かれているようで困るのだ。

(あかん、この問題を考えていたら耳鳴りがしてきた)

 

これらの問題に対して「深堀が足りない」とかそのたぐいの

「中身のない」アドバイスは腐るほど聞いたが全く役に立たない。

 

「考え方」が間違っているのか、

「準備が足りない」からできないだけなのか、

それとも「私の脳みそが足りない」からなのか…

 

この問題に対して答えが出る日が来ればよいのだが…

 

それともこの問題も私の何らかのトラウマから来ているものなのか…

 

せっかくの機会ではあるし、

このことを念頭に置いて会社生活を送ってみることにしよう。

 

今まで忙しかったり何だったりで忘れがちなことではあるし、

「課題と工夫」ということを日常生活で意識してみると

気づくことがあるかもしれない。

 

そんな結論で本日の記事は終了とする。