sareluo’s diary ー 脚下照顧

これは私が精神を病み休職してから立ち直るまでを記したブログ

前向きになってきたが・・・

新たな悩みの誕生

さて、1つ大きな悩み事が解決したところで、

また新しい悩みが出てきた。

 

というのも、自分の恐怖感に向き合うことで

少しずつ前向きになってきたことで生まれた悩みである。

 

すなわち、「自分は今の会社にこのまま勤めていて良いのか」

という悩みである。

 

これだけいろいろ良くしてもらっておいて何を言っているのか、

と思われる人もいるかもしれない。

 

しかし、先日両親と話している中で自分でも思わなかった

こんな言葉が出てきたのである。

 

「達成感がない」

「勉強はしたいけど、今の業界の勉強をする気になれない」

 

よくよく考えてみると、

私が未来に絶望感を覚えたのは疲れ「しか」溜まらない日々が原因だ。

 

つまり、疲れが吹き飛ぶような、

「ああ、この仕事をやっていて良かった」

と思うような瞬間がなかったのである。

 

仕事で良い成績を出すには努力が必要だが、

努力をし続けるためにはそのための燃料=エネルギーの供給が必要だ。

 

そしてそのエネルギーとなるものこそ「達成感」と呼ばれるものだ。

 

達成感があるからこそ次をより良くしようと努力するし、

今までの苦労が報われる気がするのだ。

 

逆に達成感がなければ同じだけの結果を出し続けるのも、

つまり同じだけの努力をし続けるのもエネルギーが足りず、

延々と同じ作業を行っているような気分になり、

未来に希望が持てず絶望するのだ。

 

ではなぜ私は今の仕事に達成感を持てないのだろうか。

 

仕事自体はそれなりに高度な技術やマネジメントを要求されている。

タスクには締め切りが存在し、明確な区切りも存在する。

達成感を感じるとすればタスクを完了でき、

チーム全体に貢献できたときだと考えられる。

 

そういう意味では私はまだ下っ端で、お客様に直接会うことがないから

「お客様の課題を解決できた」という達成感を得られてないために

本当の意味での今の仕事の達成感を知らないとも考えられる。

 

しかし、「それは本当に私が感じたい達成感か?」と問われると

明確にYESと言えないことも事実だ。

 

私が恐怖感に囚われていたせいで見いだせなかった

「本当にやりたいこと」、「本当に得たい達成感」はこれだったのか?

 

今の仕事は「できるから」やっている仕事か?

「やりたいから」やっている仕事か?

 

私は器用だからある程度の物事は教えられればできるようになってしまうだろう。

ある程度の仕事であれば高いレベルでこなせるようになってしまうだろう。

 

しかし、そんな「できる仕事」をしたくて私は生きているのか?

 

達成感を得られない理由の1つに、

学生時代に得られた達成感に比べて小さすぎるということが考えられる。

 

実は私は中・高・大学生と一貫して吹奏楽団体に所属し演奏をしてきた。

そこでの演奏会をやりきったとき。

その時の達成感は常に素晴らしいものであった。

それと今の仕事の達成度を比べてしまうと、

どうしても見劣りしてしまうのは事実だ。

 

社会人になって「演奏の練習に時間が取れないから」と

市民団体にも所属せずすっぱりと辞めてしまった演奏。

 

本当に優先するべきものはどちらだったのだろうか。

 

安定思考というものに囚われて、

実は私は自分に合っていない道に進んではいないだろうか。

 

ああ、演奏がしたくてたまらない。

 

また良い音を追求する日々を過ごしたい…