sareluo’s diary ー 脚下照顧

これは私が精神を病み休職してから立ち直るまでを記したブログ

お風呂での考え事

マイナスからプラスへ

私は風呂でシャワーを浴びながら考え事をするのが癖になっている。

 

休職前では毎朝シャワーを浴びるたびに

「また朝が来てしまった」

「いつまでこの地獄は続くのだろう」

「どうやったらこの地獄から抜け出せるのだろう」

ということばかりを考えていた。

 

そして考え事の途中で仕事での失敗がフラッシュバックするのだ。

「なんであんなことをしてしまったのだろう」

「あの失敗の修正をしないといけない、憂鬱だ」

「同時に進めないといけないこともあるし…もう疲れた」

 

その時と比べれば、今の考え事のなんと前向きなことか。

「どうやって両親と話そうか」

「どんな風に話題を設定すれば両親の本心が聞けるだろう」

「どんな話が聞けるだろうか」

 

両親との話し合いを上手く進めるために

自分が話すべきこと、順番、両親への質問などを考えていくのは

非常に楽しいことである。

 

なにしろ、これが上手くいけば私の人生の大半を占めていた憂鬱感から

解き放たれる気がしてならないからである。

 

もちろん人の心や性格がすぐに変わるわけではないが、

同じ場面に向き合ったときの考え方・解釈に大きく違いがでるのではと

私は考えている。

 

自分の人生をプラスに動かすために頭を使っている感じがして気分が良い。

 

また、考えている中で発見もあるものだ。

 

例えば、今朝気づいたのだが、

私はどうやら「両親の期待に応えたい」という気持ちが強かったらしい。

両親にどんな言葉を言うべきか考えていた時に

ふと湧き上がってきたのがこの言葉だが、

同時に涙腺も緩くなってしまったのだ。

 

「ああ、自分は親のことが心の奥では嫌いになれていないんだな」

 

今日考えてみるまで気づけなかったことだ。

人間というのは本当に自分のことを知っているようで

何も知らないのだと痛感させられた。

 

自分のことでさえそうなのだから、

きっと親のことだって知らないことが沢山あるのだろう。

 

話し合いの時にはその一部でも引っ張り出せれば上出来だと思う。

 

そんな風に考えを進めながら、

今日は温泉にでも行って思いっきり汗を流してみようと

のんきなことも考えてみるのであった。