sareluo’s diary ー 脚下照顧

これは私が精神を病み休職してから立ち直るまでを記したブログ

家族への説明 両親編

私たち家族の過去と絆

木、金、土曜日と実家に帰り、両親と対話をしてきた。

 

こちらから話したことについては既に今までの記事で書いているので、

両親からの反応について言及する。

 

両親曰く、

「お前はなんでもできたから高いレベルを要求してしまった」

とのことだ。

 

私に兄がいることも記事で書いているが、

兄と私は両親から見て本当に対照的だったそうだ。

 

特に、兄が1のことをやるのに10の努力が必要だとすれば、

私は1のことをやらせようとすると

1の努力で10のことができてしまったという。

 

これは母が同じタイプだったらしい。

所謂、次男・次女は長男・長女に比べて要領が良いというやつだ。

 

ただそれにしても私は良くできたので、

「是非もう少し上のレベルを目指してほしい」と

父も母も教育熱心になってしまったのだ。

 

父は「できないレベルではないと思って要求していた」と言っていた。

母は「器用貧乏にならず得意な何かを見つけてほしかった」と言っていた。

 

また、同時に父はこうも漏らした。

「小さいころのお前は『何をしたい』のかが分からなかった」と。

 

大人から要求されたレベルを私は難なくこなしていたが、

そこに熱を感じなかったらしいのだ。

事実、当時の私はできてもやり続けたいとおもったものはほとんどなかった。

 

だから余計に、私の本音を引き出すために

少し強い言い方をして高いレベルを要求したりしたと。

そう話してくれた。

 

 

そして、私の恐怖についても父は理解してくれた。

 

他人に見られながら作業をするということは父も非常に怖いと言った。

どうやら父方の家系の悪癖なのか、

周りにいい顔をして褒められたいという欲求が強く、

その逆に周りから失敗を非難されることを酷く恐れるのだそうだ。

 

これは母が嫁いできてすぐに気づいたそうだ。

「人からものすごく些細なことでも褒められるととっても喜ぶの。

 でも、失敗をしてしまったときには、

 もうそれがこちらからみて明白だとしてもごまかしたり隠そうとしたりするの」

 

父はそんな祖父の姿を見て育った。

そして恐らく私と同じように失敗に対して強く怒られたのだろう。

だから父も祖父と同じように失敗に対して恐怖したのだ。

 

何が源流かははっきりしないと父は言っていた。

しかしいつの間にか失敗に対しては怖くなっていたと。

父も改めて自覚したようだった。

 

つまり私は、父方の悪癖を受け継ぎつつ両親に失敗を強く指摘されたために

特に恐怖感が強く残ってしまったのだ。

 

この話は私の中にストンと入ってきた。

父も同じ恐怖を感じていたと知れて嬉しかった。

 

私は確かにこの家で育てられたのだと認識することができた。

それは悪い形ではあったけれども、自分だけが苦しんでいたわけではないと、

絆を感じることができた。

 

それだけで今回の対話会は成功だったと言えるだろう。

それに、両親に現状を理解してもらうこともできた。

もはや大成功といっても過言ではなかった。

 

もちろん完全に過去を清算できたかというとそんなことはないし、

恐怖感もまだ残っている。

 

しかし、私たち家族にとっては重要な一歩を踏み出すことができたのだ。

 

きっとこれから良い方向に進んでいくことができるだろう。

 

少なくとも私はそう信じている。