sareluo’s diary ー 脚下照顧

これは私が精神を病み休職してから立ち直るまでを記したブログ

来週動こうと思う

どうやって話すべきか、それが問題だ

両親への説明を来週の土日に行おうと決めた。

 

まだ連絡はしていないので仮ではあるが、

恐らく土日ならどちらかで話ができるだろう。

 

ただ、問題なのがどうやって自分の今の気持ちを伝えたものか、

という部分である。

 

少し考えてみると、どうしても両親への文句が先に出てきてしまう。

 

そうではないと分かってはいるのだ。

 

ただ、

①現状の説明

②両親の気持ちを聴く

というこの間の繋がりが非常に難しい。

 

自分としては、

「失敗に対してどうしてそこまで敏感だったのか」

を知りたいだけなのだが、

変な方向に話が流れていないかが心配だ。

 

別に両親に謝ってほしいわけではない…と思うし、

怒りをぶつけたいわけでもない。

(ほんのりと「辛かった」ということは理解してほしいとは思うが)

 

自分が現状「失敗」というものに対し異常に敏感になってしまっていること。

そしてそれは過去の両親もそうだったからではないかということ。

ではなぜ両親は「失敗」に対し敏感になってしまったのかということ。

 

…と書いてみると、なんだかすっきりした気がする。

 

確かに細かい症状で言えば、

「他人に作業を見られると頭が真っ白になる」

といったものが様々あるが、重要なのは

それらが全て「失敗」がトラウマになって生まれてしまったものであり、

そのトラウマは両親が密接に関係している、

という部分なのだ。

 

つまり、両親にとっても「失敗」がトラウマになっていないか。

その確認がしたくて話に行きたいのだ。

それこそがきっと両親の本心に当たる部分だと思われるから。

 

確認した後どうしたいか…については今のところはっきりしていない。

 

理由なきトラウマか、理由ありきのトラウマか、

それが分かったところでどうした、という感じはするのだが、

それはまた分かってから考えるべきことかもしれない。

 

それにきっと、また言葉に出してみれば

何か自分でも気づいていなかった心の言葉がぽろっと出てくるかもしれない。

そこは考えすぎず、話すべきことを話したらあとは

思ったことを話していくという行き当たりばったりが

最良の流れに導いてくれるだろう。

 

まずは明日、母に現状の触りと今週の土日に時間が取れるか聞こうと思う。

 

今の自分を和らげるために、一歩ずつ前進したい。

 

まとまりはないが、今日はこの辺で。